「真田幸村まつり」・安居神社にて

お知らせ
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

真田幸村まつり

5月5日(金) 安居神社に於いて「幸村まつり」が開催されました。
真田幸村公を慰霊する為の神事が厳かに執り行われ、神事の後は真田鉄砲隊による寸劇の披露がありました。
幸村公が当時の最新式鉄砲を携えて徳川家康公の眼前まで突進して行った事、 そしてその鉄砲を不覚にも落としてしまったために徳川家康公を倒せなかった事などの説明があり、本来歴史に「もしも・・・」 はないけれども、「もしあの時に 幸村公が鉄砲を落としていなければ、家康公は銃弾に倒れ、大将のいなくなっ た徳川方は混乱し、大坂夏の陣は豊臣方の勝利に終わっていた。」 バージョンの寸劇が披露されました。

              慰霊祭
             真田幸村像
 真田鉄砲隊

「こねつけ餅」とは・・・

「こねつけ餅」とは、真田幸村公が生まれた信濃の国(長野県)の伝統料理です。 長野は米作りにあまり適した土地ではなかったため、米があまり収穫出来ませんでした。 そこで、少ない貴重な米を水に浸して洗い、小麦粉を加えてかさ増しして捏ね、小さな丸型に成型して焼き味噌を塗ったものが「こねつけ餅」です。 この地方では古くから食べられており、幸村も幼い頃より慣れ親しんだ好物だったと伝わっています。

「こねつけ餅」エピソード

1615年 大坂夏の陣
徳川方によって外堀も内堀も埋められてしまった大坂城の落城は時間の問題でした。そんな時、豊臣方についた真田幸村は覚悟を決めて徳川方についた兄の信之公を密かに訪ねます。

久しぶりに対面した二人でしたが、これが今生の別れになる事を悟り、兄弟水入らずでお互いに別れの盃を飲み交わします。 しかし、あっという間に時が過ぎ別れの時がきて、信之公は最後に幸村公に何かを持たせようと渡せる物を探しますが、館には冷ご飯しかなく、深夜であったため米を炊く事も出来ませんでした。信之公は残っていた冷やご飯で幸村公の好物である「こねつけ餅」を作って持たせ、別れを告げます。これが信之公が兄として弟の幸村公に最後に出来る精一杯の事でした。

この数日後、幸村公は安居神社にある松の下に居たところを、越前松平家の家臣で鉄砲頭の西尾宗次(西尾久作・西尾仁左衛門)に槍で刺されて討死しました。  今生の別れと覚悟を決めた兄と二人だけの時間。お互いの心情はどのようなものであったのか? また、兄から貰った「こねつけ餅」を幸村公は、どのような気持ちで食べたのであろうか。

戦国の世であったが為に、兄弟でありながら敵味方に分かれなければならなかった 過酷な運命は、現代に生きる私たちには計り知れません。


感 想

今回「こねつけ餅」にまつわる幸村公と、兄の信之公との切ない今生の別れのエピソードも御披露させて頂き、 安居神社の方々や来賓の方々をはじめ、一般の方々も大変興味を示してくださり、ご好評いただきました。特に来賓でお越しの皆様方からは、沢山ご質問を頂き一つ一つお答えさせて頂きました。

皆様にお喜びいただけた事は大変嬉しく、貴重な体験となりました。

         「こねつけ餅」の紹介
        質問にお答えする会員